ルーツミュージックスタディ

■「一億三千万人のためのジャズ史講座」/第1回

エドワード・ジョンソン(DJ / コラムニスト)
エドワードさんは当HPに縁のある大先輩からお引き合わせしてもらったDJでコラムニスト。
6年間日本で暮らしたあと、いまは在英で好きなレコード相手に余生を生きると豪語する変わったひとです。多くのひとにジャズを理解してもらえるような一風変わったジ ャ ズ史講座、楽しみです。
エドワード・ジョンソン



第一回【歴史を忘れてみましょう】



依頼を受けて困ったなと僕は思った。僕みたいな人間が、教えられるだろうかというのが不安の大きなひとつだから。僕はパブリックスクールの頃から落第生だったわけなのに、どういうわけだか「イエス」と答えてしまい、PCの前でふんづまりながら七転八倒せにゃならなくなったわけ。 僕の悩みを解消するためには、教えるということは考えないでひとまず、一緒にお喋りするというようなノリで書いていこうかな、とひとまず僕は思って安心する。

さてと、いちおう僕の方は心の準備は出来たわけだ。あとは皆さん、の心構えです。
「このガイジンでいいのか?この得体の知れない、日本語が変に流暢なヤツで自分はジャズについて蘊蓄を他の人にエラソーに語れるようになるのか?」
う〜ん、それは僕には確実には言えないけれど、少しは、ちょっぴりだけど、蘊蓄は語れると思うよ。この言葉を信じたら、少しだけお付き合い下さい。

まず、編集のKさんには悪いけど、クボタジロウについて語ろうと思ってたことを今回は辞めます。「ゲッ」と叫ぶのが遙か日本から僕には聞こえますね。
いいんです。そういうのがジャズですよ、Kさん。初めてにしていきなり久保田さんはないでしょう。追々この人には触れます。皆さんも憶えておいてくださいね、僕はものすごく気侭で物忘れが激しいので。

さてさて脱線が多すぎますね、僕の話は。こういうのがジャズでは1940年代中盤から後半にかけて出てきた「インプロヴィゼイション」という概念です。つまりアドリヴですね。概念を忘れて考えると、こういう行為は僕らの間では日常茶飯でしょう?
いつもお喋りしているときに、しゃちこばって、次に話すことを考えていますか?もし考えているなら、あなたはスクウェアな人です。まじめなんですね、たまには肩の力を抜いてお喋りしましょう。どこへ行くのか分からない会話は、行き当たりバッタリの旅に似てじつに楽しいものですから。

さてさて、本題です。まずは、歴史を忘れてみましょう、ということ。
ジャズに限らず、ナントカ史っていうのはいろんなジャンルにたくさんあります。
映画も絵画も、戦争も。そういうありとあらゆる事物には歴史があります。そういう認識を欠いた発言をやると、スクウェアな人は「歴史認識がない」と発言します。
たしかにモノを知らない人というのは、歳を経て話すと辛い。疲れてしまう。けれど、音楽などのことに関して言えば、歴史は権威にすり替わって、なんだか近寄りがたいモノになってしまう。これは、頑固そうなお爺さんやお婆さんに話しかけるのが、容易ではないのと同じですね。
だからこの際、ジャズに関してはせめてそういうことは問わないようにしましょう。

歴史なんて、いまのメガCDストアではなんの役も立たないくらい混沌に埋没しちゃってる。ディジー・ガレスピーと渡辺貞夫がでかい店内で「こんにちは」してるし、ナット・キング・コールとシナトラが肩を並べてナタリー・コールに手を振ってるよ。そんな世界で歴史はもはや役に立たない。かつてあったとさという昔話の世界でしかない。そういう認識でジャズ世界に入っていきましょう。
ジャズって言うのは、寄り道といいかげんを熱心にやる行為です。歴史を踏破する際も、寄り道といいかげんを熱心に行おう、と僕は思います。

ジャズの語り口を日本語表現にまで広げた面白いおじさんに植草甚一さんがいます。
植草さんという人は、とにかく面白がりやで、いわゆる知的ハンティングの達人です。
僕はこの人の文章を日本に来て知り、いわゆる「はまって」しまいました。ウラジミール・ナボコフからポルノグラフィまで、なんでもかんでも面白がって、チクッと刺した批評を与えるのです。物知り顔のスクウェアなスノッブとは大違い。スクウェアって何度も言ってますけど、僕はそれはそれで嫌いではないんですよ。いわゆるスタンダードな人で四角張って真面目なモノは、意外とチャーミングなんです。Kさんがよく言う突っ込み甲斐があるというか、そういう可愛いモノとして僕はスクウェアという言葉をひとに対して使います。

また外れてしまいましたけれど、植草さんはひと味違うひとなんです。
ずーっと続いていくような独特の晩年に展開した文体は、ほぼフリージャズ。しかも時代配列などあとで良いとでも言いたげな、時代の跳梁ぶりはイングランドでもいないんじゃないかなと思います。歴史認識の羽目外しは、知識が豊富だってこともあるけれど、ジャズの敷居を悠々と踏み越えていくためには、野蛮な勇気も必要でしょ。
歴史の体系づけと乱稚気パーティを交互に一緒にやっていけば怖くはないよ。
さあ「はじめに」はここまでにして、次回から「スクウェアな音を聴いたひと」というタイトルでジャズの歩みを自由に僕らみんなで遊んでいこう。

山辺健史 岸川真

(c) 2002 Root's Music Study